高原(たかはら)霧の里
近年、道路整備が整い鮎のシ-ズンともなると何度も熊野川に行くようになり何時も思うことがある。其れは、R311号の交差点栗栖川・中辺路「今は世界遺産」から日置川・近露から野中を過ぎた頃から道の濡れている事が度々ある。よくよく調べてみると県内でも有数の霧の多い所だそうで和歌山県に住んでいながら知らないことの方が多すぎる。高原・霧の里と書いて[こうげん]ではなく「たかはら」と読むそうです。そんなこんなで調べるとヤハリ霧が多く秋から冬にかけて朝霧が多く幻想的な風景が楽しめるようです。また地名でも鶏(とり)飼(か)わぬ村なぞのと言う変わった地名もあり調べてみると昔、熊野詣の山伏が日が暮れたので一夜の宿を求めた。山伏は「一番鶏が鳴いたら起こしてくれ」といい置いて休んだ。山伏の持つ金品に魔がさした宿の主人は、まだ夜も開けきらぬうちに鶏を鳴かし、(鶏は足があったまると鳴くというので、止まり木の竹の節をあらかじめ抜いておき、熱湯を流し込んだ)送り出した。途中滝の近くで手持ちの鉈で山伏を殺し、金品を奪った。今では、山伏が殺されたところは「山伏滝」、凶器を洗ったところは「薙刀淵」と呼ばれている。たたりを恐れた主人はそれ以後、鶏を飼わなくなったそうな。しかし地名とは別に、この村からの眺めも非常に感動的です。熊野古道に良く出てくる果無山河「果てし無き山と川」其れほどに熊野古道・中辺路から目にする景色が心に残るのではないでしょうか。私も熊野の歴史に少しは興味を持ち始め、先ずは一歩踏み出してみようと思う、今日この頃です。世界遺産・熊野古道は日本書紀にも登場する自然崇拝の地であり、小辺路(高野山-熊野三山、約70km) 中辺路(田辺-熊野三山) 大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km) 伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km) 大峯奥駈道(吉野-前鬼-熊野三山、約140km) 紀伊半島の南部にある熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉(はやたま)大社、熊野那智大社)へ詣でるのに使われてきた道を「熊野古道」と呼ぶ。熊野の地と、伊勢、大阪・和歌山、高野、吉野を結ぶ古い街道の総称だ。奈良、和歌山、三重の3県にまたがり、合計23市町村にわたって広がる。仏教、神道、修験道などさまざまな信仰が育まれてきた熊野三山とその周辺は、古くから神々がいる聖地としてあがめられ、日本人の精神文化に大きな影響を及ぼしてきた。「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われたように、日本人は古くから、厳しい参詣道を歩いて熊野に行く「熊野詣」(くまのもうで)を行い、癒しと再生を求めてきた。本宮大社は未来のご利益を願い、速玉大社は過去の業を落とし、那智大社は現在の業を落とすものとして、今でも多くの人が参詣に訪れる。
熊野古道は、2004年7月にユネスコ(国際連合教育科学文化機関:UNESCO)の世界遺産として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部だ。世界遺産に登録された理由は、神道と神仏習合の霊場である熊野三山と、真言密教の霊場である「高野山」、そこに至る熊野古道などの参詣道がまとまりを持って、信仰を育んだ自然と人間の営みが一体となった文化的景観を構成しているためだ。熊野古道は、1) 京都方面からの参詣のために最も頻繁に使われた「中辺路」、2) 高野山との間を結ぶ「小辺路」、3) 紀伊半島の南部の海沿いを行く「大辺路」、4) 伊勢神宮との間を結ぶ「伊勢路」、5) 「大峯奥駈道」(おおみねおくがけみち)などから成る。熊野灘に面した海岸線や紀伊山地など、豊かな自然環境に恵まれている。また、文化財保護法に基づき、史跡7件、史跡・名勝1件、名勝1件、名勝・天然記念物1件、天然記念物4件が指定され、国宝4件、重要文化財23件の建造物を含む。 詳しくは・・・紀伊山地の霊場と参詣道
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